2005年 08月 16日
マルコの一周忌
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私がハンドルネームやユーザー名でよく使っている「マルコ」というのは、私が長い間飼っていた猫の名前だ。大人になって、自分で始めて飼ったペットである。
1年前の今日、マルコは私を置いて、遠い所に旅立ってしまった。とても暑い夏の朝だった。今でもサンディエゴの夏の強い日差しに身をおくだけで、あの日のことを鮮明に思い出す。
マルコは12年前マンションの駐車場で出会った。当時マルコは生後約2ヶ月、野良猫の子のようで、体はノミだらけ、痩せてガリガリだった。それでもあっという間に元気になって、いたずらの好きな美しい雌猫に成長した。
マルコが5歳のとき、食欲がなく寝てばかりになったので、病院に連れて行ったら、猫エイズであることがわかった。マルコは完全室内飼いだったし、他の猫との接触がなかったので、たぶん母猫からの体内感染だろうと言われた。どうやらエイズキャリアだったマルコが5年の歳月をかけて発症したらしく、もう長くはないかもしれないと一度は覚悟した。しかしほんの数ヶ月の間に、いつもの元気なマルコに戻ったのだ。一度発症したエイズが治るとは思えないのだが、それでも目の前にはすっかり元通りになったマルコがいた。
マルコは私の波乱万丈な人生に付き合って、合計6回引っ越しをした。最後の引っ越しで飛行機に乗ってアメリカにやってきた。暖かいサンディエゴ、広い家での生活は、マルコにも幸せそうだった。無理をして連れて来てよかったと本当に思えた。
しかし去年の7月の前半、突然ごはんを食べなくなった。最初は柔らかいフードなら食べていたのだが、2、3日でそれさえ口にしなくなった。口の中をよく見ると、歯が抜けたところがあって炎症を起こしている。きっとそこが痛くてごはんが食べられないのだろうと、病院に連れて行った。
チューブで胃に直接フードを流し込んでもらい、いくつかの検査をした。先生の診断は炎症した歯を飲み込んで感染症になったのかも、ということだった。家では高カロリーの柔らかいフードやチューブに入ったジェリー状のフードをあげることになった。嫌がるマルコにがんばって食べさせていたが、数日たっても食欲は回復しない。また病院に連れて行き、さらにX-rayの検査、口の中の炎症部分の生体検査などをした。具体的にどんな検査をしたかはもう覚えていない。血液検査で白血球が増えていることがわかったことと、腹水がたまっていたので抜いてもらったことは覚えている。それ以外は明らかに悪いところはないという診断だったと思う。
食欲が回復しないことにはどうしようもない、と言われたが、ジェリー状のフードを口に無理矢理入れても、すぐ吐いてとてもつらそう。そのうち水も飲まなくなった。大好きな缶詰の汁気の部分を口につけても顔をそらす。どんどん痩せていってもともと3.5キロくらいだった体重が2キロちょっとになった。病院ではひとつの選択肢として、安楽死もあると言われたが、私は決心がつかなかった。もう助かる見込みがないのは素人目でもわかったが、もう少しマルコと一緒にいたいと思った。
最期の1週間は私たちのベッドの下、20センチの高さの所で1日中過ごすようになった。それでも廊下のクローゼットにある自分のトイレまでは時々出て来ていたのが、ついにはそこまでも歩けなくなったようで、ベッドルームの片隅におしっこがしてあった。うちに来てから11年間で初めての粗相だった。もっと早くトイレを近くに移してあげればよかった。
1日2回、無理矢理口の中にジェリーフードと薬を入れる時に、ベッドの下から引きずり出すのはとてもつらかった。ガリガリの体で精一杯の抵抗をするのだ。いつもベッドの下の真ん中あたり、手が届かないところにいたのでほとんどマルコを触ることはできなかった。きっと一人になりたかったのだろう。
その当時、トムは出張と学校でほとんど家にいなかった。いつも泣きながらマルコを引っ張り出して、泣きながらフードを食べさせていた。毎朝起きると、一番にマルコが生きているか確認した。そんな日が10日ほど続いた。覚悟できているようで、実は弱ったままでも永遠に生きていてくれるような気がしていたのかもしれない。
トムが久しぶりに帰ってきた日の翌朝、私より先にベッドから出たトムに「マルさん、いる?」と確認したら、「マルさん、もうダメだ」と言われた。マルコはベッドルームから出てすぐのフローリングの廊下で硬くなっていた。私は布団にもぐったまま絶叫してしばらくマルコのそばに行けなかった。マルコの死が信じられなかった。
マルコは硬くて冷たい廊下に横たわっていた。目も口も少し開いたままだった。閉じさせてあげたかったけど、死後硬直でできなかった。いつも寝ていた藤のカゴに入れてあげて、庭の花を摘んで顔のまわりに置いた。犬たちは一度もマルコのそばにも私のそばにも寄って来なかった。
トムはその日のお昼前に、学校の合宿に出発しないといけなかったので、一緒にすぐ近くのペット霊園に連れて行った。途中でスーパーに寄って、お花を買い足した。私はマルコをアメリカに埋葬する気はなかった。いつか日本に一緒に帰りたいので、火葬して灰を持って帰りたかったのだ。ペット霊園の人はとても優しく親身になってくれ、ペットロスのカウンセリングをしているボランティア団体まで紹介してくれた。
朝起きてからほんの3時間ほどで、すべてが終わった。あっけなかったけど、涙は止まらなかった。トムはそのまま合宿で1週間帰ってこなかったので、その間ずっと泣いていたような気がする。どうして最期の夜、寝ないで様子を見なかったのだろう、あんな冷たい床の上で、最期は苦しかったのだろうか、後悔ばかりが私を襲う。結局原因はわからなかったが、猫エイズが大きく関係していると思う。今度こそ本当に発症したのかもしれないし、何かの感染症にかかったのかもしれない。
この1年間、マルコのことを思い出すとすぐ泣いてしまうので、あまり考えないようにしてきた。それでも折にふれ、最期の1ヶ月のことを思い出し号泣してしまう。時間がたっても悲しみが癒えるわけではないのだなーと思う。それでもマルコと過ごした11年間のこと、悲しい最期のこと、全部このまま覚えていたい。マルコのことを一番思い出してあげられるのは私だし、覚えていることが、マルコの小さな命がこの世に存在していたことの証なのだから。
マルコの死後、3ヶ月たって、うめこをうちに迎え入れた。やっぱり猫は可愛かった。うめこはマルコの代わりにはならないけど、温かく楽しい気持ちが私のなかに蘇った。一度ペットの死を経験した人は、あんなつらい思いはしたくないからもう2度と飼わない、という人もけっこういる。でもね、可愛がっていた犬も猫も、大事な家族も、そして自分もいつかは死んじゃうの。私たち命あるものは、その逃れられない運命を受け入れて生きていくしかないのです。それが「生きる」ということなのだと思う。
マルコが生きていた最後の夜、私がマルコにかけた最後の言葉は、「マルさん、愛してるよ。今までもこれからもずっとずっと愛してるからねー。」 これが言えただけでもよかった。私の言葉と心は、マルコにちゃんと届いただろうか。
日本で最後に暮らした家で。虫やトカゲがたくさんいる、この古い家がマルコは大好きだった。
庭が見渡せる広縁の、お気に入りの籐の椅子の上で日向ぼっこ。臆病で神経質な猫だったが、引っ越しのたびに新しい家にはすぐ慣れた。食べ物に関してはかなりのピッキーで、一生同じカリカリしか食べなかったし、缶詰も好き嫌いが多かった。
去年、食欲がなくなる直前のマルコ。いつも庭に出たがるので、こうして紐をつけて日向ぼっこをさせていた。
1年前の今日、マルコは私を置いて、遠い所に旅立ってしまった。とても暑い夏の朝だった。今でもサンディエゴの夏の強い日差しに身をおくだけで、あの日のことを鮮明に思い出す。
マルコは12年前マンションの駐車場で出会った。当時マルコは生後約2ヶ月、野良猫の子のようで、体はノミだらけ、痩せてガリガリだった。それでもあっという間に元気になって、いたずらの好きな美しい雌猫に成長した。
マルコが5歳のとき、食欲がなく寝てばかりになったので、病院に連れて行ったら、猫エイズであることがわかった。マルコは完全室内飼いだったし、他の猫との接触がなかったので、たぶん母猫からの体内感染だろうと言われた。どうやらエイズキャリアだったマルコが5年の歳月をかけて発症したらしく、もう長くはないかもしれないと一度は覚悟した。しかしほんの数ヶ月の間に、いつもの元気なマルコに戻ったのだ。一度発症したエイズが治るとは思えないのだが、それでも目の前にはすっかり元通りになったマルコがいた。
マルコは私の波乱万丈な人生に付き合って、合計6回引っ越しをした。最後の引っ越しで飛行機に乗ってアメリカにやってきた。暖かいサンディエゴ、広い家での生活は、マルコにも幸せそうだった。無理をして連れて来てよかったと本当に思えた。
しかし去年の7月の前半、突然ごはんを食べなくなった。最初は柔らかいフードなら食べていたのだが、2、3日でそれさえ口にしなくなった。口の中をよく見ると、歯が抜けたところがあって炎症を起こしている。きっとそこが痛くてごはんが食べられないのだろうと、病院に連れて行った。
チューブで胃に直接フードを流し込んでもらい、いくつかの検査をした。先生の診断は炎症した歯を飲み込んで感染症になったのかも、ということだった。家では高カロリーの柔らかいフードやチューブに入ったジェリー状のフードをあげることになった。嫌がるマルコにがんばって食べさせていたが、数日たっても食欲は回復しない。また病院に連れて行き、さらにX-rayの検査、口の中の炎症部分の生体検査などをした。具体的にどんな検査をしたかはもう覚えていない。血液検査で白血球が増えていることがわかったことと、腹水がたまっていたので抜いてもらったことは覚えている。それ以外は明らかに悪いところはないという診断だったと思う。
食欲が回復しないことにはどうしようもない、と言われたが、ジェリー状のフードを口に無理矢理入れても、すぐ吐いてとてもつらそう。そのうち水も飲まなくなった。大好きな缶詰の汁気の部分を口につけても顔をそらす。どんどん痩せていってもともと3.5キロくらいだった体重が2キロちょっとになった。病院ではひとつの選択肢として、安楽死もあると言われたが、私は決心がつかなかった。もう助かる見込みがないのは素人目でもわかったが、もう少しマルコと一緒にいたいと思った。
最期の1週間は私たちのベッドの下、20センチの高さの所で1日中過ごすようになった。それでも廊下のクローゼットにある自分のトイレまでは時々出て来ていたのが、ついにはそこまでも歩けなくなったようで、ベッドルームの片隅におしっこがしてあった。うちに来てから11年間で初めての粗相だった。もっと早くトイレを近くに移してあげればよかった。
1日2回、無理矢理口の中にジェリーフードと薬を入れる時に、ベッドの下から引きずり出すのはとてもつらかった。ガリガリの体で精一杯の抵抗をするのだ。いつもベッドの下の真ん中あたり、手が届かないところにいたのでほとんどマルコを触ることはできなかった。きっと一人になりたかったのだろう。
その当時、トムは出張と学校でほとんど家にいなかった。いつも泣きながらマルコを引っ張り出して、泣きながらフードを食べさせていた。毎朝起きると、一番にマルコが生きているか確認した。そんな日が10日ほど続いた。覚悟できているようで、実は弱ったままでも永遠に生きていてくれるような気がしていたのかもしれない。
トムが久しぶりに帰ってきた日の翌朝、私より先にベッドから出たトムに「マルさん、いる?」と確認したら、「マルさん、もうダメだ」と言われた。マルコはベッドルームから出てすぐのフローリングの廊下で硬くなっていた。私は布団にもぐったまま絶叫してしばらくマルコのそばに行けなかった。マルコの死が信じられなかった。
マルコは硬くて冷たい廊下に横たわっていた。目も口も少し開いたままだった。閉じさせてあげたかったけど、死後硬直でできなかった。いつも寝ていた藤のカゴに入れてあげて、庭の花を摘んで顔のまわりに置いた。犬たちは一度もマルコのそばにも私のそばにも寄って来なかった。
トムはその日のお昼前に、学校の合宿に出発しないといけなかったので、一緒にすぐ近くのペット霊園に連れて行った。途中でスーパーに寄って、お花を買い足した。私はマルコをアメリカに埋葬する気はなかった。いつか日本に一緒に帰りたいので、火葬して灰を持って帰りたかったのだ。ペット霊園の人はとても優しく親身になってくれ、ペットロスのカウンセリングをしているボランティア団体まで紹介してくれた。
朝起きてからほんの3時間ほどで、すべてが終わった。あっけなかったけど、涙は止まらなかった。トムはそのまま合宿で1週間帰ってこなかったので、その間ずっと泣いていたような気がする。どうして最期の夜、寝ないで様子を見なかったのだろう、あんな冷たい床の上で、最期は苦しかったのだろうか、後悔ばかりが私を襲う。結局原因はわからなかったが、猫エイズが大きく関係していると思う。今度こそ本当に発症したのかもしれないし、何かの感染症にかかったのかもしれない。
この1年間、マルコのことを思い出すとすぐ泣いてしまうので、あまり考えないようにしてきた。それでも折にふれ、最期の1ヶ月のことを思い出し号泣してしまう。時間がたっても悲しみが癒えるわけではないのだなーと思う。それでもマルコと過ごした11年間のこと、悲しい最期のこと、全部このまま覚えていたい。マルコのことを一番思い出してあげられるのは私だし、覚えていることが、マルコの小さな命がこの世に存在していたことの証なのだから。
マルコの死後、3ヶ月たって、うめこをうちに迎え入れた。やっぱり猫は可愛かった。うめこはマルコの代わりにはならないけど、温かく楽しい気持ちが私のなかに蘇った。一度ペットの死を経験した人は、あんなつらい思いはしたくないからもう2度と飼わない、という人もけっこういる。でもね、可愛がっていた犬も猫も、大事な家族も、そして自分もいつかは死んじゃうの。私たち命あるものは、その逃れられない運命を受け入れて生きていくしかないのです。それが「生きる」ということなのだと思う。
マルコが生きていた最後の夜、私がマルコにかけた最後の言葉は、「マルさん、愛してるよ。今までもこれからもずっとずっと愛してるからねー。」 これが言えただけでもよかった。私の言葉と心は、マルコにちゃんと届いただろうか。
日本で最後に暮らした家で。虫やトカゲがたくさんいる、この古い家がマルコは大好きだった。
庭が見渡せる広縁の、お気に入りの籐の椅子の上で日向ぼっこ。臆病で神経質な猫だったが、引っ越しのたびに新しい家にはすぐ慣れた。食べ物に関してはかなりのピッキーで、一生同じカリカリしか食べなかったし、缶詰も好き嫌いが多かった。
去年、食欲がなくなる直前のマルコ。いつも庭に出たがるので、こうして紐をつけて日向ぼっこをさせていた。
by crazytomo69
| 2005-08-16 00:00
| 犬猫